読んでもらうための文章を意識しすぎて自分らしさを失った人へ。
やっぱり本音を隠さず発信するのが一番だ
ということをお伝えしたい。
猫かぶったり、気に食わないものをほめたりしたってブログやSNSは続かない。
あくまでもポジティブな方向で自分らしく発信すれば、きっと誰かが救われるはず。
この記事のまとめ
- 他人ばかり気にした発信は自分が苦しくなる
- 本音発信してこそ文章にエネルギーが生まれる
- 他人の反応は制御できないのでポジティブに自分らしくいこう
猫被った発信でブログもSNSも自分の言葉が違和感だらけに
最初に言うと、これまで猫かぶってた気がする。
文章=自己表現の一種
なんで、ホントの自分が出せずにいると気持ちが悪い。
これが続くとブログもSNSも続けられそうになかったんで、ここらでちゃんと見直すことにした。
自分を出せないとブログもSNSも楽しくない
楽しくないことは努力できないし続けられない
というのが自分なりの考え。
じゃあブログやSNSが楽しくなる時ってどういうときか。
- 自分の投稿が市場から評価されたとき
- 好きなこと・得意なことを書いているとき
- 本音をぶつけたとき
こんな感じかな。
結局、評価されないとどこかで折れるっていうのはあるかもしれない。
それでも、評価されるには自分の本音をしっかりさらけ出すことが大事じゃないかという話。
楽しい≠何でも好き勝手に書く
楽しい=自分の本心で需要に応えて響く
例えばの話。
嫌いなことを世間では人気があるからって、いかにも自分も好きな風に書く必要はない。
でも、嫌いだからってヘイト文を書くんじゃなくて、その先のニーズを見据えて「嫌い」とどう向き合うかを書くべきでは?
ということ。
ネガティブの先に進む文章を書くことで、自分の本音と市場の需要の両立ができる。
そしたら「楽しさ」も湧いてくるんじゃないかな。
「自分ってこんなヤツじゃないよな」という違和感
本当の自分はわりとラディカルな人間で、好き嫌いもハッキリしている。
でもブログやSNSだと遠慮が出てきてマイルドになってしまう。
その結果、自分の文章を見返したときに
自分ってこんなヤツじゃないよな
と、モヤってしまった。
違和感を覚えたのはブログを30日連続で更新したとき。
やれやれという気持ちと同時に、
「なんかモヤモヤする…」
と思って立ち止まった。
原因を探るために今までの投稿を見返してみると、至る所に自分っぽくない表現というか、
きれいにまとまってはいるけど、本当に言いたいことはソレなの?
と突っ込みたくなるような文章がちらほらあった。
やっぱりちゃんと自分の言葉を出さないと、どこかでくじけるんだな。
SNSは他者評価を狙いすぎて逆に病んでる人が多い
SNSでは自分の投稿に「いいね」がなくて病んでる人が多いと感じる。
自分を出すことより他人からの評価に軸を置くと病む確率が上がりそう。
SNSを見てても自分のスタイルを貫けている人が注目を集めていると感じる。
それに、病んでる人も何が悪いわけじゃないと思うけどな。
私は写真が好きでよく他人の投稿を見る。
その中で、
「フォロワー少ないのでぜひフォローお願いします」
「フォローしてくれたらフォロバします」
「私の写真って価値ないんでしょうか…涙」
といった投稿もよく流れてくる。
そんなんやってフォロワーが増えたりいいねがもらえても、後からしんどくなりそう。
なんでかっていうと、自分と同じタイプの人が集まっちゃうから。
お互いにSNSでフォロワーとかいいねを求めている姿を見ると、余計に病むと思う。
本音から出るエネルギーをまとった発信をしたい
もっと自分をさらけ出した文章を書きたい。
ライターの仕事でそんなことはなかなかできないけど、これは個人ブログ。
自分らしさが出た、自分の色が出た発信を大事にしたい。
なんとなく出る “コレジャナイ感” の払拭
猫かぶるのも、本音を言い切らずにきれいにまとめるのもやめる。
そうしたボンヤリとした文章が違和感とかコレジャナイ感の原因を作るから。
自分が心から思うことを発信し続けたら、きっとこのブログは本当の意味で自分の資産になると思う。
ネガティブワードに同調した寄り添いはいらない
本音で発信とはいえ、ネガティブをネガティブのまま終わらせない。
記事は自分にとっても読者にとっても明るい未来があるものにしたい。
- 嫌い
- おかしい
- 気持ち悪い
- 面倒くさい
上記のようなワードには人が集まりやすい。
それと同時に厳しい議論も起こりがち。
良く言えば、需要の宝庫って感じか。
ただ、悪口のオンパレードになりがちな部分もある。
誰しも同じような不安・怒りなどを抱えている人を見つけると、安心できる。
とはいえ、ずっと暗いままでいてもどうにもならん。
だからこのブログでは
「~ってウザいですよね。わかります」
と書くことはあってもそれだけで終わらせることはしない。
嫌なことは嫌なことで受け止め、ちょっとでもマシな方向へ考えを向けられる記事を書きたい。
需要に合わせて自分を変えない。好きなものは好きと言う
世間で高評価でも自分がダメと思ったら本音で発信する、ということ。
YouTuberとかって、何でも絶賛してばっかりじゃない?
お金もらってるからしょうがないじゃんって言う人もいるけど、自分が苦しくないのかな。
まあそれが成熟するということなのかもしれないけど。
自分はいつまでも本音で語れる発信者でありたいなと思う。
ちなみにこれは、需要を正しくキャッチするということでもある。
商品などを褒めてばっかりだとかえってうさんくさい。
見ている人は悪いところほどキッチリ知りたいのだ。
自分なりの評価基準を持つことで批判されることはあるかもしれないが、まあそれが本音で発信するということかな。
好きなこと・本音発信でブログやSNSが伸びるのかという疑問
好きなことを好きなように発信していては読まれないのでは?
という当たり前の疑問が出てくる。
この点に関して私が思うことは以下のとおり。
- 本音発信と戦略はセット
- 自分を信じながら発信する
- 戦略があっても結果に期待しない
ちゃんと自分軸で発信はするけど、最低限の戦略は立てつつやるよって感じ。
だって、少しは結果が出ないとブログもSNSも続けられないもんね。
だけど、結果には執着しない。
やることやって、あとは「なるようになる」と割り切って継続するのみ。
伸びない・読まれないと思えばその通りになる
読まれなかったらどうしよう、じゃなくて読まれることを信じてあとは熱心に書く。
ただそれだけ。
ネガティブなことってすぐ現実になるので、つまらないことは考えない。
自分が熱を込めて書いた文章がきっと誰かの役に立つと思い続けること。
たとえ結果が出なくても、自分が発信を続けたければ続ければ良いし。
ブログとかで焦ってもしょうがないので、ゆっくり資産を築くイメージでやる。
常にポジティブな思考を選び続けたい。
当てに行かない。熱を込めて継続したら当たる投稿もあるかもというだけ
たくさん種まきをして、熱心に育てていたらどれかは花が咲くかもという感じ。
一生懸命にやっても自分が思うような結果を得られないこともある。
ブログなんてたくさん記事を書くので、中にはイマイチなものがあってもしょうがない。
というより、厳密には記事一つひとつに役割があると思っている。
だから、たくさん書いてぜんぶ当てに行くぞー!じゃなくて、戦略の上に当たるべきものが当たれば嬉しいなと。
他人が自分の言葉をどう受け取るかはコントロールできない
自分の本音発信を気に食わない人がいてもしょうがない。
他人が自分の言葉にどう反応するかは予測できない。
相手をコントロールするのは不可能なので、できることは自分軸をぶらさずにいること。
ネガティブなことばっかり言ってると、誰かを傷つけたりイヤな気分にさせることも多い。
だからここまで書いたように、私はポジティブ発信したいと思っている。
人としてというか、自分の良心に照らし合わせて言葉は選びたい。
でも、考えて書いた上で誰かが不快になってしまうのはもうどうしようもない。
批判が嫌とか誰も傷つけたくないといっても、本音で表現すると時に相いれないことだってあると思う。
そういうときは自分のことにフォーカスすることが大事。
気に食わないこと=真の望みを考えるチャンス
気に入らないことが発生→じゃあ自分はどうすれば納得できるのか?
望まないことが発生したときは、逆に自分が望んでいることを知るチャンス。
自分の発信で誰かがイヤな気持ちになったとしても、それは相手の問題。
相手にとっては自分が本当に求めていることを考える機会。
そう考えれば、いちいち他人の心配などしなくて良くなる。
ちょっと冷たい言い方だけど、本当に他人はコントロールできないので。
自分は本音発信するとして、その受け止め方は読み手にゆだねられている。
発信は本音で堂々と自分の本音がどう思われるかは相手の問題
これをしっかり肝に銘じて発信していく。
自分が幸せな気持ちで本音発信すれば読者も幸せになれる
- ポジティブな方へ本音発信
- 他人の受け取り方はコントロール不可能
まとめると、上記が本音発信のミソかなと思う。
幸せな本音発信をするには、世の中や他者に対して心を開くことも大事。
本音=とがった発言/うがった見方
みたいなのは好きじゃない。
それって偏屈だし、自分の世界に閉じこもってるだけじゃんって感じなので。
だから、自分が幸せでいられるようにまずはオープンマインドでいること。
そして、プラスの気持ちを乗せた文章で読者にも幸せが広がったら最高だな。