もし自分が時間も場所にもとらわれず、好きなことで自由に生きていけたら…と考えてみた。
以前からそんな暮らしができたらどんなに幸せか…と思っていたが、いざ真剣に一日のスケジュールを考えると色々とつまづいてしまった。
好きなことで自由に生きていくことが難しいと思う理由
個人的に好きなことで自由に生きていくことが難しいと思う理由は3つある。
- 好きなこととやるべきことの葛藤で結果が出ないかも
- 時間があるとお金の不安で病むかも
- 好きなことで1日を埋め尽くすって意外と難しいかも
現在、私は会社員なので上記の問題は発生していないが、ある休日に将来について何か楽しいことでも考えてみよー♪と思い、「もし脱サラしたら…」なんて未来を描こうとした。
そしたら、「いやいや、やっぱりこれは相当な覚悟がないと苦しい人生になるぞ」と(改めてだが)気が付いたのだ。
好きなことvsやるべきこと
ビジネスを回していくことを考えると、ベースは好きなことで良いが実際にはやるべきことをしっかりやらないといけないだろう。
好きなことを好きなようにやっているだけではお金にならない可能性も高い。
もちろんそれで大バズリする人もいるが、ほとんどの場合は結果を出すためにやるべきことを粘り強くやることが必要だと思う。
…となると、最初の時点ですでに「好きなことで自由に生きる」って大変だわ、、、となるのだ。
好きなことで自由に生きていける生活は、きっと泥臭く這いずり回りながら、それでも前向きに楽しく努力できた先にある人生なんだろうな。
好きなことは収益化せずに単なる「好きなこと」でとどめておいた方が幸せな場合もあるかもしれない。
自由な時間でお金の不安を生み出してしまうリスク
お金がなくても明るく元気に生きている人もいるし、別に生活水準を落とせばやっていけることも多いだろう。
問題は、お金がないとちょっとした隙間時間にふと将来に対する不安に駆られ、そのうち好きなことをやる元気すら消える…という負のループが発生する可能性だ。
もちろん、時間を詰めてガンガン頑張ってるけど結果が出ずお金の不安が生まれる…という分かりやすい懸念もある。
ただ、個人的にはガンガン行動してるのに結果が出ないのって、然るべき人に相談すれば解決しそうなのでまだ未来は明るいと思う。
問題は何にも縛られない自由な生き方に憧れて、本当に時間的な自由が増えた(増えてしまった)場合である。
自由な生き方・ライフスタイルといえば、なんとかく1日を優雅に自由に過ごしているイメージがある。
ただ、それをリアルにやってしまうと、すでにビジネスが上手く回っている人以外は逆に不安が膨らむだけじゃないだろか…。
将来に対する漠然とした不安を浮かべる時間が増え、ゆったりどころかネガティブで頭がパンクしそうな生活を送ることになる気がする。
そもそも将来に対する経済的な不安が膨らむと、好きなことも「稼ぐための手段」としての側面が強くなり、多分あんまり楽しくなくなる。
で、結局「これでお金を稼ぐのは無理だから好きなようにやるのが一番」と出戻ってしまい、事業化は頓挫してしまう…みたいな。
時間に余裕のある生活って一見するとうらやましいけど、やっぱりある程度しっかりした経済基盤があってこそだと思う。
お金がないのに時間だけ持て余しても不安を増大させるだけだ。
ってことで、まずはちゃんと作ったビジネスを収益化させなきゃ理想の生活は手に入らないよね、と。そのためには、やりたいこととやらなくちゃいけないことの葛藤を乗り越えなくちゃね…って感じで、最初に戻るのである…。
1日埋まるほど好きなことがあるのかどうか
「好きなことで自由に生きる」ことを真剣に考えて1日のスケジュールを立てたとき、私が一番悩んだのがここだった。
ブログは朝2時間~3時間程度で執筆できるとして、後の時間何するー?っていう。
家事したり、写真を撮りに行ったり、ブログのリライトしたり…まあいくつかは案が浮かぶけど、案外一日すべてを使うのって難しいかもしれない。
じゃあ空いた時間は優雅に読書でもするか?って思ったものの、さっき書いた「将来への経済的な不安」に襲われる時間になる予感。
結局、やってみたかったことや好きなことを存分に楽しむにはある程度のお金が必要だ。
一日を自由に使えるのはワクワクするが、抱えている不安を吹き飛ばすほど熱中できるものをスケジュールに詰め込むのもわりと大変そうだ。
悪い予感は簡単に実現してしまう恐怖。ポジティブな「かも」を飛ばそう
散々ネガティブなことを書いてしまったが、今の私がもし自由な生活を送りたいと思って会社を辞めたら、恐らくここに書いた懸念事項はすべて実現してしまうと思う。
「強運の法則」(Amazon)の著者で知られる西田文郎氏の「かもの法則」(Amazon)という本には、「悪い予感ほど実現しやすい」と書いてある。
どうしてかと言うと、いい予感(たとえば、お金持ちになれるかも。事業が成功するかも。画家になれるかも)が現実になるには、必ず努力が必要になります。 しかし悪い予感は、努力の必要がありません。というより私たちの脳は、悪い予感を抱いたその瞬間から、努力することをやめます。本人は必死で努力しているつもりでも、脳が努力を放棄してしまうのです。 貧乏になる人は、金持ちを予感できない人です。 金持ちになる人は、たとえ今は貧乏でも金持ちを予感しています。
西田 文郎. かもの法則 ―脳を変える究極の理論 (p.54). 現代書林. Kindle 版.
貧乏とか不健康とかって、確かに努力はいらない。逆に、お金持ちの生活やスタミナ・筋力がしっかりある体というのは努力しないと(一般的には)手に入らない。
私たちの脳みそはどうしても楽が好きなので、努力がいらない道を選びがちだ。
真に理想の生活を手に入れるには圧倒的な努力が必要だと分かっている。その一方で努力が一筋縄では実を結ばないことも理解しているので、悪い予感に引っ張られる。
じゃあどうすりゃいいのか。それは、少々おバカになってポジティブな「かも」を飛ばしまくるしかない。
「必死こいて努力すりゃ本当に好きなことで自由に生きられるかも」
「私ってできちゃうかも」
と、ポジティブな「かも」を出していかない限り、きっと暇を持て余した努力もしないビンボー生活を引き寄せてしまうだろう。
「好きなことで自由に生きる」というのは、究極のポジティブが試される生き方なのだなと思う。